古代エジプトに関するQ & A (1) 質問1. ローマ人は牛肉を食べなかったそうですが、古代エジプト人は牛肉を食べたのですか? 食べなかったのですか? (福元)
ギーザのピラミッド近くで発見された労働者村からはたくさんの屠殺された牛の骨が見つかっていますから、労働者たちは牛肉を食べたと思われます。また祭礼時に神々に捧げられた牛肉も、あとで神官達や町の人々に配分されて、食べられましたね。(西村)
質問2. ナルメル王のパレットで首を切断された死体が並んでいますが、ギロチンのない当時は何で首を切断したのですか? (福元)
1996年にヒエラコンポリスの北にあるアダイーマで、ナカダ2期に年代付けられる埋葬から、喉を切られた後、頭を切り落とされた殉死者の例が二つ見つかっています。喉を切るのはフリント製のナイフででもできると思いますが、フリント製のナイフで頭も切り落とせるのかどうかわかりません。他方、ナカダ2期から銅製の斧やナイフの製造が盛んになりますので、銅製のナイフで喉を切った後、銅製の斧で頭を切り落としたのかもしれません。ナルメル王の後継者アハ王の銅製の斧はすでに二つ見つかっていますので、ナルメル王が銅製の斧で捕虜達の首を切り落とした可能性は十分にありますね。(西村)
質問3. 中東では邪視をはねかえすための眼の形をした護符をよく見かけますが、古代エジプトの眼にもそのような力がありますか? (泉)
邪視とは嫉妬や憎悪のまなざしによって災いがもたらされるという民間信仰のことですね。古代エジプトには二種類の眼があって、一つはホルスの眼、ウジャトです。これはセト神によって潰されたホルス神の左眼をトート神が魔力で復元したことから、病気治癒の力があるとされています。またこの眼はオシリス神の復活に必要不可欠であることから、ミイラの護符としてもよく使われます。もう一つはラーの眼で、ハトホル女神あるいはセクメト女神と同一視されています。これはラー神に背いた人類を滅ぼすためにラー神によって地上に送られた殺戮の女神で、彼女を人間の血に見立てたワイン(人類滅亡の神話ではレッド・オーカーを混ぜたビール)で宥めることによって彼女の破壊力は守護する力に変えられたとされてい ます。一般に図像でよく見かけるのはホルスの眼ですが、邪視を防ぐために使われたかどうかは不明です。(西村)
質問4. 私達は羊と言えば角が側頭部で渦を巻いているものをすぐに思い浮かべますが、古代エジプトの羊は角が渦を巻いていませんね。品種が違うのでしょうか? (北村)
現代の家畜の羊は品種改良がくり返されて生まれたもので、古代から現代までどのような系統樹になっているのかは、私にはよくわかりません。古代エジプトの羊は水平にねじれながら伸びた角を持ちます。学名をOvis aries longipesといい、紀元前五千年頃から飼育されました。角以外の特徴は、垂れ耳で、毛が長く、毛の色は白・茶・白と黒のまだらなどです。中王国第12王朝になると、学名をOvis aries platyuraという別の種類の羊が輸入されました。通常「アメンの羊」と呼ばれます。この種類の羊はまず後方へ大きく彎曲し、それから前方へ伸びる角を持ち、羊毛を取ることができました。後者は現代のエジプトでも飼育されています。古代エジプトでの羊の利用法は、その乳を飲んだり、肉を食べたり、農作業で種を踏ませたりすることでした。(西村)
質問5. 故人の名前にはマア・ケルウ「声正しき者」という賛辞が付けられますが、どうして遺族に故人が死後オシリスの裁判で勝ったかどうかがわかるのですか? (福元)
それは亡くなってから遺族が埋葬の準備をするのではなく、故人が生前に代金を払ってお墓や棺、供養碑などを作らせるからですね。故人は、職人に注文を出す時に、決まり文句の供養文の他に書いてもらいたいことを言っておくのです。あまりたくさんの代金を払えない人は、名前の部分が空欄になっている既製品を購入し、自分の名前を入れてもらいます。古代エジプト人は経済的に余裕ができればすぐに死後の準備を始めましたが、死後の準備が整わないうちに死んでしまう人も多かったようですよ。(西村)
質問6. 供物として捧げられる鳥とは鶏ですか? (芝田)
ガン、カモ、ガチョウなどの水鳥ですね。鶏はプトレマイオス時代になるまで一般的な家禽ではありませんでした。トトメス3世の年代記には王が西アジアから持ち帰った珍しいものとして鶏の記述が見られますが、鶏がいつどのようにしてエジプトに輸入されたかについてはまだ議論されています。(西村)
質問7. 上・下エジプトの統一を象徴するセマ・タウィで表される植物はパピルスともう一つは何ですか? (藤永)
一般に「南のユリ」と呼ばれていますが、もちろんユリではありません。パピルスが下エジプトを象徴する植物であり、ロータス(睡蓮)が上エジプトを象徴する植物なので、ロータスかもしれません。しかし、すでに様式化されているので、どの植物かは不明です。(西村)
質問8. ホルスとセトの神話で、セトがホルスに対して性行為を行おうとする場面がありますが、古代エジプトでは神様の性別は一定ではなかったのですか? (加藤)
ホルスもセトも男神です。セトが性行為によってホルスより優位に立とうとしたのですね。セトは荒々しい力の権化であり、性欲もそのような力の一つと考えられているのです。(西村)
質問9. テレビの通販番組で、ザクロは古代エジプトで医療用として使われていたと言っていましたが、本当ですか? (加藤)
医学パピルスのエーベルス・パピルスによれば、ザクロは虫下しや胃薬として利用されていました。虫下しの治療法としてザクロの根を水に浸し、一晩置いたものを服用するとあります。ザクロの根にはタンニンが含まれているので、虫下しに効果があるのですね。また胃薬としては、ビールにつけておいたザクロの根をたたきつぶし、水瓶の中で一晩置いたものを布で漉し、飲用するとあります。古代エジプトでは牛肉や豚肉から寄生虫が人体に侵入することが多く、若死の原因になっていたようです。(西村)
質問10. あるテレビ番組で、古代エジプトの王妃は絹の衣装を着ていたと言っていたのですが、古代エジプトでは絹織物を作っていたのですか? それとも交易で入手したものを着ていたのですか? (加藤)
絹糸を吐き出すかいこが中国からヨーロッパに伝わったのは、ユスティニアヌス帝の時代、つまり6世紀のことなので、古代エジプトでは絹は作られませんでした。古代エジプトの亜麻布には基本的に4つのランクがあり、最高級のものはロイヤル・リネンと呼ばれていたそうです。私人墓の供物リストや神殿への寄進リストからはもっと多くの種類が知られていますが、テレビ番組ではおそらくこのロイヤル・リネンを絹と言っていたのだと思います。(西村)
質問11. ナイル川の恩恵を受け、人々が生活する土地は「黒い土地」(ケメト)、ナイル川の恩恵が届かなく、死者の領域と考えられていた土地は「赤い土地」(デシェレト)と言われますが、古代エジプト人は「黒」・「赤」に対してどのようなイメージを持っていたのでしょうか? (加藤)
黒はナイル河がもたらした肥沃な土の色であるだけではなく、冥界の色でもありました。したがって壁画で冥界の領域に属する者たちは黒く塗られます。オシリス神の肌の色が黒く塗られるのは、彼が豊穣の神であると同時に冥界の支配者でもあるからです。死者を冥界に導くアヌビス神も常に黒く塗られます。死後テーベ西岸の守護女神となったアフメス・ネフェルタリ王妃も肌の色を黒く塗られます。ツタンカーメン王の彫像の中には黒く塗られているものが何体かありますが、これは彼が来世で再生復活することを願って、オシリス神のように黒く塗られているのです。しかし、ときどきアメン神やミン神が黒く塗られるのは、彼らが豊饒の神だからです。豊饒と冥界が同じ色で表されるというのは、一見奇妙な感じを受� �ますが、あながち無関係とは言えないと思います。というのは、死者は冥界を通過して再生するのであり、豊饒は新しい生命を生みだすからです。だから古代エジプト人は黒に対して大変良いイメージを持っていたと言えます。
赤はセト神の色です。外国人はセト神の領域に住む人々なので、壁画に描かれた外国人はしばしば髪の毛を赤く塗られました。神に捧げられる動物も赤毛の牛が選ばれます。赤毛の牛の屠殺はセト神の殺害を意味しました。デンデラのハトホル神殿には赤毛のロバがセト神として屠殺される場面を表すレリーフがあります。赤はまた死・危険・血も表します。夕焼けは太陽神の敵たち(冥界で太陽神の航行を妨げようとする魔物たち)が流した血で空が染まるから起こると考えられました。ワインは神の敵たちの血として捧げられました。埋葬の際に赤い壷を割ることは、オシリス神の敵を殺すことを意味します。宗教テクストで書名や章の題名は赤インクで書かれますが、書名や題名に含まれる王名、神名、死者の名前だけは危険 防止のために黒く書かれます。反対に文中に現れる危険な魔物の名前は赤く書かれます。しかし、赤が守護力を意味する場合もあります。イシス女神の帯留めを象った紅玉髄製の護符は、ホルス神を身ごもったイシス女神をセト神から守ったので、ジェド柱とともに併用されて、死者の生命の安全を保証します。また赤色っぽい珪岩や花崗岩は太陽の再生力を表すと考えられました。その他激怒や炎も表します。赤はつねに悪い意味とは限らないのですね。(西村)
質問12. アビュドスのオーパーツはどのようにして生まれたのですか? (岡沢)