勇気と恐怖と全体と - レジデント初期研修用資料(旧)
ギリシア全土の存亡のかかったテルモピュライの戦い。レオニダス王以下スパルタ重装歩兵300人は、 総数200万とも伝えられるペルシア帝国軍の侵攻を7 日間にわたって阻止した後、全滅した。
スパルタ兵士の戦いかたは、ギリシャ方陣。
右手に長い槍を持って、左手に大きな盾を持ち、お互いに密集して方陣を組む。ギリシャ方陣では、 戦士は隣の兵士の持つ盾の中に身を隠す。兵士の盾は、自分自身を守るためのものではなく、 隣に立つ戦友を守るためのもの。
この戦法は、陣形が崩れなければ、威力が強いけれど、兵士がお互いを信用できなくなった瞬間に 陣形は崩れ、方陣もろとも潰されてしまう。
- 200万の軍勢を前に全滅したスパルタ兵士は、どうやってギリシャ方陣を保ちつづけられたのか?
- 自らの死を前にしたとき、人は戦友を守るために自らの盾を掲げられるものなのか?
テルモピュライの戦いを描いた小説、「炎の門」は、そんな勇気と恐怖をめぐる物語。 以下、引用多数ネタバレ上等で。
恐怖の対義語とは何か
「常に頭にとり付いて離れぬ問いがある。それは恐怖の対語とは何か、ということだ。」
決戦直前、スパルタのベテラン兵士ディエネケスは、こんなことを語り始める。
それを無恐怖だといっては意味がない。それは反命題の形で表された命題でしかない。 私が知りたいのは真の相対物なのだ。
文中、最悪の恐怖として常に名指しされるのは、死の恐怖。恐怖を克服する力、 「死にたくない」という、保身の願望よりも強い力となるのが「勇気」というもの。
スパルタ人は、死の恐怖をさらに大きな別の恐怖で埋め合わせている。すなわち、不名誉という 恐怖、群れから除外される恐怖だ。それは勇気であろうか?不名誉を恐れて何かをするのであれば、 それはすなわち恐怖から出た行動ではないのか?
英雄の勇気すらも完全ではない。彼らは不名誉を恐れて戦うのではなく、 栄誉を求めて戦う。それは立派なことであろう。しかし、それが真の勇気であろうか?
どのような職人の構築された城
ギリシャ人は神を信じ、信託を信じる。ところが「勇気とは一体なんなのか?」という疑問 に対してだけは、神様は答えを出せない。神様は、死を知らないから。
「神は何でも知っているが、勇気に関する問いだけは別だ。 死を知らぬ神に何が分かる。神々は死ぬことができぬのだ。」
信仰は勇気を生むのか?
死の恐怖を克服したいと願う人々は、往々にして肉体の死語も魂は生き続けると説くが、 私に言わせれば、それは単なる願望にすぎぬ。死ねば極楽に行くという者もいる。 ならば聞いてみたいものだ。「それがまことと思うなら、何故今すぐ死んで極楽への 道を急がぬのだ?」と。
根拠のない信仰は、死の恐怖を消してくれない。
戦いに慣れていない軍隊というのは、将軍が大声で檄を飛ばしたり、 槍の穂先を派手にぶつけあったりして、何とかして自分達の戦意を煽り立てようとする。 スパルタ兵士の方陣はそんなことをする必要はなく、常に「そのとき」に備えて冷静に待つ。
戦いとは、仕事であって神秘ではない。決戦前夜、スパルタのレオニダス王は、 配下の軍隊に対しては実際的な、物理的に可能な行動の指示のみを出した。
レオニダス王は、精神をある特定の状態に保つよう求めても、そのような指示は、 彼らがこれから王の焚き火の輝きが及ばぬところへ散ってしまえば、 たちまち無力になってしまうものであることをよく知っていた。
異常の中で普通を行う
物語終盤、焚き火を囲んだ議論は進む。
スパルタ戦士ディエネケスの従者は、もともとは騎馬民族だった。スパルタにつれて来られた当初、 彼はギリシャ方陣を「何と古臭い戦いかたなのだろう」と思った。ところが戦いに参加する中で、 それがだんだんと崇高なものに見えてきたのだという。
およそこの天の下に、恐怖に散り散りとなった方陣ほど蔑むべき光景があるでしょうか。 それに反して揺るがぬ方陣の何という壮麗さ、崇高さ!
崩れた方陣しか組めない兵士と、常に冷静なスパルタ兵士とを分けているものが勇気。
砂漠地帯に住む遊牧民のアラブ人の名前は
勇気とは、全滅、敗走、屈服の瀬戸際に立たされながら、おのれの身魂と日ごろの鍛錬によって、 動転せず、絶望にも陥らず、普通とはかけ離れた状態で普通の事を行うことができるような心の状態。
その勇気を、アキレウスのような伝説の英雄のように自分一人で実感するのではなく、 混乱と無秩序のさなかに、同じ部隊の一員として、よく知りもせず、共に訓練をした こともない戦友と共有するとき、自分の槍の側、盾の側、いずれにも戦友がいて、 自分と同じように勇を鼓して闘っているのを見るとき、自暴自棄の狂躁からでなく、 各人がそれぞれの役割を知り、それを実行するために自制をもっておのれの力を 引き出そうとするのを見るとき、戦士は我が身が神の手で救い上げられたかのような 気になるものなのです。
ディエネケスが答えて一言。「恐怖の対語は……愛だ」。
彼の中にこそすべてが含まれている
決戦直前。その数時間後には、スパルタ兵士300人は、確実に全員死ぬ。
ディエネケスが部隊を前にして、最後に語った言葉。
我々は、今口には出さねど深い恐怖を胸に抱いている。死への恐怖ではなく、 それ以上にやっかいな恐怖、すなわちこの最後の時に立ち至っておのが心が 弱り、ひるむのではないか、恥ずべき行いをするのではないかという恐怖だ。 我が友よ、そこにこそそなたらの為すべきことがある。国を忘れよ。王を忘れよ。 妻も子も自由も忘れよ。今日の合戦を戦う理由を考えているのなら、それが いかに崇高なものであろうとすべて忘れよ。 ただ一つのもののために 戦うのだ。そなたらの傍らにいる者だ。彼こそすべてなのだ。 そして、彼の中にこそすべてが含まれているのだ。
部分は全体。戦士が自分ではなく傍らの「彼」のために、 彼を通じた全体のために命を捧げる覚悟をしたとき、兵士の中に生まれた真の勇気は恐怖に打ち勝つ。
ここから仏教。華厳経では、「菩薩のあるべき心」をこう定義している。
彼らは、ロゼッタ石の上で何を書いた。
菩提を求める心を発するならば、微小な世界がすなわち大世界であり、 大世界がすなわち微小な世界であることが分かるのである。 さらに小なる世界が多なる世界であり、多なる世界は小なる世界であり、 一つの世界は無辺なる世界である。
菩薩であるためには、全と個との境界が消失していなくてはならない。
功徳を積むには布施を行わなくてはならないが、事物に執着しながら行うのは布施ではない。 菩薩は、相の観念にとらわれないで布施をしなければならない。
布施は純粋な贈与でなければならない。贈与に見返りを求めたり、 贈与が何らかの物質性を持った「贈り物」になってしまうと、贈与は単なる交換に堕してしまう。
贈与という行為は、相手と自分という2者を設定した時点でもう成立しない。 贈る者と贈られる者との区別や分離が全く発生しない状況の中でだけ、 純粋贈与という行為が可能になる。
「すべてを忘れよ。傍らにいる彼こそがすべてなのだ」という、スパルタ戦士が到達した 勇気という心境は、菩薩の心の状態、一切の差別相が発生しない心によく似ている。
菩薩メソッドによるコミュニケーション
「自身と他者とを区別しないところから真の勇気が発揮される。 地域医療が崩壊している。我が身かわいさに盾に隠れる医師は、 スパルタ兵士の勇気に学んでほしい」。
こんなふうにまとめると、朝日新聞の社説になってしまうけれど、もう少しだけ。
菩薩ルールで駆動されるコミュニティでは、常に相手を信用するから、 互恵的な振舞いを行うことができる。 争い事が事実上消滅するから、非常に効率のいい社会を作れる。
ところが、「菩薩ルール」というのは外に広がっていくことができない。
相手を裏切るという選択肢が存在しないから、初対面の相手に裏切られてしまうと、 菩薩側は必ず負ける。同じルールを共有するには、通過儀礼を越えて、 対話の相手に中に入ってきてもらわないといけない。
スパルタ人は、「市民」という通過儀礼を経た少数の仲間だけを対象に社会を形成して、 それ以外は奴隷として冷遇したから、こんな菩薩ルールが上手く機能した。
個人の信頼とか、人間性みたいなものはお金で査定できない。見返りを求めない勇気、あるいは 布施という行為は、その人の信念が発露したものだから、その中に意図とか人間性とか、 お金では表現できない何かを埋め込んで、相手に伝えることができるけれど、 分かりあえる「仲間」以外には伝わらない。
「菩薩ルールは快適だが、仲間を増やせない。交換経済は菩薩の境地には遠いけれど、 信頼できない人とでもコミュニケーションがとれる」。
菩薩メソッドを発見した仏陀もきっと、たぶんこんなジレンマにぶつかったはず。 このあたりを誤解した原理派が、全人類菩薩化計画みたいなものを その場の気合だけで発動させたりして、仏教の歴史は血の歴史。
ネット時代。贈与と交換、情報量と流動性。両立不可能だった2つのパラメーターというものは、 もしかしたらこれから両立が可能になるのかもしれない。
オープンソース運動、あるいはWeblog のブームというのは、贈与の情報量を持ちながら、 貨幣を中心とした交換の持つ流動性とを併せもった、今までにないコミュニケーション手段。
「ネットワークの向こう側」、新しい世代の菩薩コミュニティというのは、 そこに加わる人に、どんな通過儀礼を要求するのだろう?
0 コメント:
コメントを投稿