万里の長城は役に立ったのですか? - 歴史 - 教えて!goo
長城は遊牧騎馬民族の侵入に備えるという目的に対して充分役に立っています。
長城が最初に作られたのは、戦国時代で後に秦の始皇帝が一つの長城にまとめ上げています。その後は、主要部分の補修はなされたようですが、本格的な修築がなされ現在も残っているのは明の時代に作られたものです。
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その間の時代で長城があるものの完全ではなく北方の遊牧民族に圧迫されていた時代、一例をあげれば宋の時代には、北方の遼に対して毎年銀10万両、絹20万匹を送るという約束で和平を結んでいます(これを?淵の盟約センエンノメイヤクという)。これを遼と宋の双方が遵守して120年間の平和が保たれたと言いますから合計1200万両の銀が流出したことになります。これに比べれば長城の建築・修復費用なんてたいしたものではないとも考えられます。あ、盟約がなければ被害額はもっと大きなものになったでしょうね。
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また、長城の目的は侵入を防ぐとばかり考えられがちですが、もう一つの役割があり、それは退却を妨害するという目的です。遊牧民族側が大軍を催して攻めて来たときは(当然に事前に判りますから)長城を楯にして防ぐというのはイメージしやすいですが、平和な時などに長城の破れなどから密かに小部隊が侵入することは防げません。
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彼らが密かに入ってきて密かに出ていくのなら仕方ありませんが、もしこの小部隊が村を襲ったり、争乱を起こしたりすれば当然、討伐軍を出します。この時は、動員できる兵力が違いますから侵入した部隊は逃げるしかありませんが、長城の壁が退路をふさぎますね。壁沿いにどこまでいっても長城は途切れないわけで結局入ってきた小さな穴を目指すしかありません。そーっと入ってきた時は時間をかけて穴をくぐったり出来ますが、追われて逃げていて一刻を争う時にはすみやかに抜けるのは難しいですね。つまり、入ってきた小部隊は全滅の可能性が強いわけです。
つまり、人目を忍んで侵入はできるけれど、それを利用しての悪さはできない。こ� �に大きな意味があるのです。これも広い意味での長城の防御効果です。
最後に蛇足です。満州族が建国した清が明に代わって中国を支配する様になりますが、勃興してきた清が正面から長城を攻撃しても山海関を破ることは出来ませんでした。清が長城を越せたのは明末の農民反乱などの混乱の中で、李自成が明朝を倒したことがきっかけです。山海関で清の攻撃を防いでいた明将呉三桂は前後から異なる敵に攻められることになり、今まで敵対していた清と協力して李自成を討つ、つまり山海関を開いて清を長城の中に入れる決断をしたわけです。
結局、清は敵失に乗じて長城を越えたようなものであり、それだけ長城の防御力が強かったすなわち役に立っていたことの証明でもあります。
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